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15 May, 2001
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Nr.014 人島
大原美術館の裏にある日本庭園=「新渓園」の正門を入ると左側に数個の岩がある。
小学校の頃は、この岩を気にすることもなく、横を通り過ぎていた。
奥の日本庭園に入り込み、池で“ザルキン”(アメリカザリガニ)を捕ろうと覗き込むと、なぜかクラクラと、水に引き込まれそうな気がした。
暑い夏の日に、下を向くからだろうと思った。
が、ここに来たら、一緒に遊ぶツギオやタカシなど、誰かが必ず池に落ちる。
水の中に引き込まれる感じがしたのは、私だけではなかったようだ。
こんなホコリをかぶっていた思い出が、全く別の事実を知ることで、何もかも仕組まれた歯車のように噛み合うとは、思ってもみなかった。
悲鳴のようなきしみと共に、私の心を動かしたのは、以下の事実である。
昔の高梁川は現在のように一本ではなく、柳井原の北あたりで2つに分岐し、それぞれが位置によって、西高梁川・東高梁川と呼ばれていた。
西高梁川は、ほぼ現在の高梁川と一致する。
ならば東高梁川は?といえば、酒津辺りから大内・八王子・安江・四十瀬・上富井・福井…と通った後は、現在の亀島山辺りを河口にして流れていた。
しかしこの川は、中国山地からの土砂をどんどん運んで来るので、川底が周囲より高い天井川となっていた。
だから雨が降る度に増水・氾濫する。
周囲の村を流し、物などは当たり前、人が流されて来ることさえあった。
氾濫した水は、決まって流れて行こうとする場所がある。
それが、現在の芸文館辺りから南にかけて…なのである。
怒濤の流れは、吸い寄せられるように、大きな岩へ向かった。
濁流に押し流されて来た人は、この岩にすがりつき、一瞬だけの安堵を得る。
が、刻一刻と激しくなる流れは、岩にすがりつく人の指を一本、二本と剥がしていく。
「助けてくれ〜」と叫ぶのは、何とか指先に力を入れようとする最後のあがきだったかも知れない。
周囲の人も、激しい流れに、助けに行く手だてがない。
流れの轟音の中に「助けてくれ〜」が繰り返されるが、どうすることもできないのだ。
いつの間にか、岩の上の人は消えてしまう。
時として、岩肌が見えない程多くの人が、すがりついた事もあったと言う。
こんなことが繰り返されるから、夏の雨夜には、
この周囲から、地の底から響くような、小さく低い声で
「助けてくれ〜」
と聞こえたと言う。
幽霊が出る…との噂も広がり、人々はこの岩を“人島”と呼び、恐れた。
大正14年、自然の力の前には無力なはずの人間が、強大な堤防を築き、2本あった川を一本にまとめあげた。
この改修工事のおかげで、恐ろしい災厄をもたらす川は消滅した。
それより少し前の明治26年、富豪・大原孝四郎が、新渓園を造った。
その時、この岩にすがりながらも絶命した人々の供養を行い、岩の頭を切り取り、新設した庭園内に移した。
それが正門の、左側にある岩だったのだ。
もしかして、頭をクラクラとさせ、池に引きずり込むのは?
夏の暑い日に、日本庭園の陰の部分に潜みながら、
輝く光の方を見ているのは?
いずれにせよ、雨の降る日は、この岩には近付かない方が良いだろう。
そしてもし、この岩の前に立ったなら、合掌にて亡くなった人々の冥福を祈って欲しいと思っている。
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by アルケミー・えんしゅう
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