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20 Oct
, 2000
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003 新川〜コンクリート・ロード


 いつも不満だった。なぜこの道はコンクリートで固められているのだ?…そう思いながら、町の境界であるこの道を通っていた。当時すでにどの道も舗装はアスファルトになっていて、コンクリートの白さは、何か時代遅れで安っぽく感じられたからである。

 そのこと以外、この“新川”という街は最高だった。青果市場は午前中でその役目が終わり、昼過ぎになると誰も居ない広大な空間ができる。しかも屋根付きで雨も気にならないとなれば、小学生が遊び回るのにはもってこいだった。

 この地区は当時、西小学校の学区としても辺境にあたるからか、運動会で町内を分ける時などは、「阿知・新川・住吉・その他」‥として一かたまりで扱われた。私が小学校に通う頃はもう、ドーナッツ化現象が進んでいて、この辺りは特に子供の人口が少なかったのだ。

 隣町の住吉(現中央2丁目)に住む私としては、「新川」という名に抵抗を覚えていた。それらしき川が無いからである。一本だけ流れている用水は、私の住む住吉町にも接しており、何か妥当性を欠いているような気がしていた。

 しかし、恥ずかしながら、つい最近、この新川のコンクリートの道が、水路であったのを知った。つまり、倉敷川は現在、大原美術館の近くで止まっているが、本来はずっと奥にまで入り込んでいたのだ。本町幹線を越えて続く広めのコンクリート・ロードが、すべて水路だったのである。

 それは、船こそが輸送手段の花形だった時代に、より太い幅で新しく作られた水路だったのである。だからこそ、新しい川=新川なのだった。
 よく見ると、新川の道の両側に、その頃の名残が多くある。本町幹線を越えてすぐ、当時一番の実力者・大橋家が邸宅を構えていたりする。また、それより奥まった部分に進むと、青果市場として、倉敷の台所を支えた場所にたどり着く。ひっきりなしに野菜などが運びこまれていた情景が、鮮明に浮かんでくる‥これが「新川」なのだろう。

 このコンクリート・ロードを美観地区に向けて追いかけていくと、細々とした道にも入り込んで行く事になる。私自身が想像もしなかった事なのだが、このコンクリート舗装の道は、すべてが水路だったのである。  汐入川(倉敷川)が新川の奥まで、太い筋となっており、それから網の目のように分岐して、それぞれの商家の倉庫へと至る。それが、例えばアイヴィー・スクエァの裏通りより深くまで、入り込んでいたのである。

 前回、「あんこ婆ぁの立つ路地」‥と紹介した道も、実は水路だったのである。そして、年配の方の話によると、それは「あんこ婆ぁ」でなく、「あずき洗い」なのだそうだ。  つまり、川でシャッシャカ・シャッシャカという音を立てて、アズキを洗う音が聞える。不審に思って見に行くと誰も居ない。しかし時間が経つとまた聞えはじめる。再度行くと誰もいない‥というものである。  いつの間にか、物流の主役は川から陸送になり、新しく造られた川は埋め立てられた。川がなくなってアズキを洗えない「あずき洗い」は、モディファイされて「あんこ婆ぁ」になったのだろう。

 新川から続くコンクリート・ロード。かつての水路を求めて歩けば、どこからかマラカスを振るような、アズキ洗いの音が聞えてくるかも知れない。その時、あなたは、過去の倉敷への旅人となったに違いない。

by アルケミー・えんしゅう

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